162回03
三条通と神宮通の交差点南西のバス停付近にて観賞。待つこと約30分。2時10分に行列の先頭がやってきた。
昨日は雨を懸念して10年ぶりの順延となった。そのためか人出は昨年より約2万人少ない15万人と’90年以来の最少となった。
先導隊
京都文化交流コンベンションビューロー
【名誉奉行】
知事・市長・市会議長・商工会議所会頭・時代祭協賛会会長ら
名誉奉行
知事と市長
総奉行
【明治維新時代】
維新勤王隊列
維新勤王隊列は、幕末の遺臣が反乱を起こしたとき、山国村(現在の北桑田郡京北町)の有志が山国隊を組織し官軍に加勢した際の行列を再現。
維新勤王隊列
御使番:伝令や監察業務を担当する役
維新勤王隊列
錦の御旗と軍楽隊:軽快なリズムで志気を高める
錦の御旗:官軍(朝廷の軍)の旗印。赤地に金の日像を、隣は銀の月像を刺繍しています。朝敵討伐の明かしとして、天皇から官軍の対象に下賜されるもの。鳥羽伏見の戦いでも大きな威力を発揮した。
維新勤王隊列
(左から)指令長・参謀・隊長:隊長の陣笠の額には「魁」の印が入っている。
維新勤王隊列
輜重頭(しちょうがしら):食料等の軍用品を運送する役の長と 右端の弾薬箱
維新志士列
説明によると維新志士列には、桂小五郎、西郷隆盛、坂本竜馬、中岡慎太郎、高杉晋作など、明治維新の頃に活躍した重要人物が大勢登場するとあるのだが、上記の人物は一枚も写っていなかった。撮り洩らしたのか、はたまた何かの事情で参加しなかったのか。
高崎さん 沼島さん、写真があればお送りください。
維新志士列
(左)久坂玄瑞 (右)瑞真木和泉
つぎの写真の七卿が夜の雨の中を長州に落ち延びた際、この二人らが護った。
維新志士列
七卿落:三條実美ら急進派の公卿らが、長州藩等の攘夷派の志士と討幕を企てるも、穏健派との政争に敗北。この行装は、七卿が夜の雨の中を真木和泉や久坂玄瑞に護られながら長州に落ち延びた様子を表している。
写真は左から、四条隆謌(しじょうたかうた)・沢 宣嘉(さわのぶよし)・錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)・三条隆樹(さんじょうりゅうき)・壬生基修(みぶもとおさ)・東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)・三条実美(さんじょうさねとみ)
維新志士列
近衛忠熈
近衛忠熈(ただひろ)は、孝明天皇の皇太子時代の東宮傅(とうぐうのふ 皇太子に奉仕する官)、即位されて右大臣、次いで左大臣に昇った。事変で官を辞して仏門へ入ったが、後に還俗して関白となった勤王派。ここでは関白の束帯(そくたい)姿で随身(ずいしん)と舎人(とねり)を従えている。
【江戸時代】
徳川城使上洛列
徳川城使上洛列は、大礼や年始等、朝廷で重要な儀式等が行われる際、徳川幕府は将軍の名代として諸藩または普代の大名を上洛させて、皇室に対する礼を尽くした。その行列 は、一般の大名行列よりずっと豪華盛大で格式の高いものであった。時代祭では、先頭の槍持、傘持、挟箱持の掛声と動作で当時の行列を偲ばせる。
徳川城使上洛列
長持:主に衣類や寝具を収納して運ぶ
徳川城使上洛列
挟箱(はさみばこ)
徳川城使上洛列
毛槍
徳川城使上洛列
鉄砲
徳川城使上洛列
駕籠
徳川城使上洛列
合羽籠、具足櫃:主に合羽籠には雨具、具足櫃には甲冑等が入っている。
江戸時代婦人列
和宮
孝明天皇の皇妹・和宮が輿入前の宮廷女房装束・十二単姿で女嬬を従え江戸時代婦人列の先頭を進む。公武合体のため有栖川宮との結婚を諦めて十五代将軍徳川家茂に降嫁した。 「惜しまじな國と民のためならば身は武蔵野の露と消ゆとも 」という有名な歌を残している。
江戸時代婦人列、中世婦人列(鎌倉)、平安時代婦人列は、各花街(祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町・上七軒)が参加する。京のきれいどころの大集合で、女性の衣装はやはりきらびやかで見ていてうっとりする。
江戸時代婦人列
吉野太夫
寛永の頃の京都六条三本筋の芸妓で、豪商・灰屋紹益の妻となった。男衆と禿を従え、名妓との誉れ高かった頃の太夫姿で、打掛小袖に帯を結んだ盛装である。